どうも。成瀬です。
『悪人』『怒り』などの吉田修一原作小説を『64-ロクヨン- 前編/後編』『友罪』の瀬々敬久監督で映画化。
ということで、期待して見に行った映画『楽園』(╹◡╹)
期待以上に面白かったし、期待以上に重かった。
余韻が残るなんてレベルではなく、見終えた直後は放心状態。
そのくらい深くて考えさせる内容でした!
それではそんな感じで映画『楽園』の感想・レビューを書いていきたいと思います!
スポンサードサーチ
映画『楽園』基本情報
監督・脚本は『64-ロクヨン- 前編/後編』『友罪』などの瀬々敬久。
『悪人』『怒り』の吉田修一の「犯罪小説集」を原作としている。
2019年10月18日に公開された。
スタッフ・キャスト
原作 – 吉田修一「犯罪小説集」
監督・脚本 – 瀬々敬久
音楽 – Joep Beving
主題歌 – 上白石萌音「一縷」(作詞・作曲・プロデュース:野田洋次郎)
中村豪士 – 綾野剛
湯川紡 – 杉咲花
野上広呂 – 村上虹郎
久子 – 片岡礼子
中村洋子 – 黒沢あすか
田中紀子 – 石橋静河
藤木朝子 – 根岸季衣
藤木五郎 – 柄本明
田中善次郎 – 佐藤浩市
登場人物紹介
中村豪士 – 綾野剛
Y字路で起きた事件の容疑者として追い詰められていく青年。
湯川紡 – 杉咲花
Y字路で消息を絶った少女と直前まで一緒だった親友。心に深い傷を抱える。
野上広呂 – 村上虹郎
紡に想いを寄せる幼馴染。
藤木五郎 – 柄本明
失踪した少女・藤木愛華の祖父。
田中善次郎 – 佐藤浩市
Y字路に続く集落で、村八分になり、孤立を深め壊れていく男。
スポンサードサーチ
映画『楽園』あらすじ
青田が広がるとある地方都市―。
屋台や骨董市で賑わう夏祭りの日、一人の青年・中村豪士(綾野 剛)が慌てふためきながら助けを求めてきた。
偽ブランド品を売る母親が男に恫喝されていたのだ。仲裁をした藤木五郎(柄本 明)は、友人もおらずに母の手伝いをする豪士に同情し、職を紹介する約束を交わすが、
青田から山間部へと別れるY字路で五郎の孫娘・愛華が忽然と姿を消し、その約束は果たされることは無かった。
必死の捜索空しく、愛華の行方は知れぬまま。愛華の親友で、Y字路で別れる直前まで一緒にいた紡(杉咲 花)は罪悪感を抱えながら成長する。
12年後―、ある夜、紡は後方から迫る車に動揺して転倒、慌てて運転席から飛び出してきた豪士に助けられた。
豪士は、笛が破損したお詫びにと、新しい笛を弁償する。
彼の優しさに触れた紡は心を開き、二人は互いの不遇に共感しあっていくが、心を乱すものもいた。一人は紡に想いを寄せる幼馴染の野上広呂(村上虹郎)、もう一人は愛華の祖父・五郎だった。そして夏祭りの日、再び事件が起きる。
12年前と同じようにY字路で少女が消息を絶ったのだ。
住民の疑念は一気に豪士に浴びせられ、追い詰められた豪士は街へと逃れるが……。その惨事を目撃していた田中善次郎(佐藤浩市)は、Y字路に続く集落で、亡き妻を想いながら、愛犬レオと穏やかに暮らしていた。
しかし、養蜂での村おこしの計画がこじれ、村人から拒絶され孤立を深めていく。
次第に正気は失われ、想像もつかなかった事件が起こる。Y字路から起こった二つの事件、容疑者の青年、傷ついた少女、追い込まれる男…
三人の運命の結末は―。
(公式ホームページ引用 https://rakuen-movie.jp/)
以下、鑑賞後の感想になります。
ネタバレに注意してください。
スポンサードサーチ
映画『楽園』ネタバレあり感想と考察
瀬々敬久監督の映画は『アントキノイノチ』『ストレイヤーズ・クロニクル』『8年越しの花嫁 奇跡の実話』『64-ロクヨン』『友罪』を見ました。
いろんなタイプの映画を撮られている監督ですが『64-ロクヨン』くらいしか面白かった記憶がなく、若干の不安を抱いて見にいった本作。
瀬々敬久監督の最高傑作だと思う!!!
監督作品を全て見た訳ではないですけど、私の見た中では間違いなく1番よかった。
おそらく実話が元になっている
原作小説の『犯罪小説集』は読破済み。
巻末には“この物語はフィクションです。実在の個人・団体とは一切関係ありません”とあります。
だがしかしどっかで見たことのあるような事件でした。
映画『楽園』は『犯罪小説集』に収録されている『青田Y字路』と『万屋善次郎』をミックスして作られています。
映画では同じ地域で起こった事件として、前半では中村豪士(綾野剛)がメインとなり、後半では田中善次郎(佐藤浩市)がメインとなって話が進んでいきます。
そんな2つの事件ですが、
『青田Y字路』は今市事件
『万屋善次郎』は山口連続殺人放火事件
をモデルにしているのではないかと思われます。
『青田Y字路』と今市事件には
- 被害者女児は三叉路で友人と別れ、その後、行方不明となった。
- 容疑者がアジア系の外国人。
- 容疑者は母親と共に骨董市にて偽ブランド品を販売していた。
- 冤罪説がある。
などの類似点があり、
『万屋善次郎』と山口連続殺人放火事件には
- 限界集落で起こった連続殺人事件。
- 加害者は「村おこし」提案後に地区住民から村八分にされていた。
- 加害者は自宅にマネキン人形を設置していた。
- 加害者は飼っている犬をめぐって近隣住人と揉めていた。
などの類似点があります。
ここまで似ているとなると偶然ではないでしょう。
実在の事件をモデルにしているのは間違いないかと思われます。
ただ、事件をモデルにしているだけであって実在の人物(犯人)をモデルにしているわけではないのも間違いないです🤔
同監督作品の『友罪』も実話を元にしているのでは?と思えるような内容で、監督はこういった話が好きなのかなぁ〜と思っていますw
藍華ちゃんを殺したのは中村豪士(綾野剛)なのか?
さて、映画本編について考察していきます。
藍華ちゃんを殺したのは中村豪士なのか?
藍華ちゃんが行方不明になって12年が経った頃、同じようにY字路で少女が消息を絶つという事件が起こります。
地域住民は12年前のことを思い出して豪士が怪しいという話へ。
そして大勢で豪士の住むアパートへ押しかけて被害者少女を捜索します。
自宅へ帰ってきた豪士はそれを見てパニックに陥り逃走。
そして焼身自殺をはかります。
ここまで豪士が藍華ちゃんを殺した犯人だということは断言されていません。
そして豪士が藍華ちゃんを殺したというハッキリとした描写は最後までありませんでした。
最後の最後で紡(杉咲花)が、藍華ちゃんを追いかける豪士の幻を見て映画は終わります。
ってことで「やっぱり豪士が犯人だったのか〜」となる終わり方ではあるのですが、これって幻で紡の妄想ですよね?
このシーンは紡が自分の中で一区切りつけた瞬間なのではないかとわたしは解釈しています。
被害者の祖父・五郎(柄本明)や地域住民たちは、豪士を犯人だと思うことで自分の中で事件を解決させることができました。
もちろん事件を忘れたわけではないですけど、犯人役を仕立て上げることで自分の中で一区切りできたのは事実です。
つまり豪士は地域住民たちのスケープゴートにされたんですね。
豪士が犯人だという証拠はない。
だけどそうするしか生きていけない。
だから豪士を犯人だと思って生きていく。
ラストシーンは住民と同じように紡が豪士を犯人だと思った瞬間なのかな・・・と。
紡は豪士と交流があり彼を犯人だと思うことができませんでした。
だけど12年前に愛華ちゃんと最後に会った友人として誰より苦しんでいたのも紡です。
幻覚を見る前(ラストのシーンのことね)、紡は豪士の母親に会いに行き「あなたも豪士に救われた」と言われています。
このこともキッカケとなり紡は豪士に救われる(豪士を犯人だと思う)ことができたんじゃないかな、とわたしは思っています。
そもそもこの映画の中では真犯人が豪士であるかどうかは重要なことではないのです。
むしろ真犯人かどうか分からないということに意味があるんじゃないかと。
当事者たちはこのモヤモヤしたやり切れない気持ちを一生抱えて生きていく。
そういった紡たちの感情を理解するのためにもこの終わり方はベストだったのではないかと思います。
余談ですが、原作小説である『犯罪小説集』の『青田Y字路』でも豪士が藍華ちゃんを殺した直接的描写はありません。
なのでやっぱり私は豪士は真犯人ではないと思っています。
でもまあ豪士が真犯人でもそれはそれで考えさせられる内容ではあるのだけど。
周りの人間が犯罪者を作る
この映画を見てゾッとしたのが、人間の怖さ。
殺された側が悪いなんてことは絶対にないのですが、追い詰められてこうならざるをえなかった加害者側のバックグラウンドが深くて胸が痛かった。
映画のキャッチコピーである”心抉られる”以外の言葉が見つからないほどの衝撃でした🤔
豪士と善次郎。
この2人の共通点は周囲の人たちに認めてもらえなかったことです。
いない者として扱われて生きてきた豪士。
村おこしをきっかけに集落内で孤立してしまった善次郎。
2人とも周囲の人たちに認めてもらえず孤立した生活を送っていました。
この疎外感と孤独さこそが人が壊れるキッカケとなっているのではないかとわたしは思います。
もし自分が同じ境遇に立たされたら。
そう考えるとおかしくならずにいれる自信がない。
帰宅すると地域住民が大勢で自分の家を取り囲んでいる。そこには敵意が漂っている。
わたしならやましいことがなくとも逃げてしまう。
ここに骨を埋めようと思って帰ってきた地元で、近隣住民から村八分に遭ったら。
わたしなら耐えられそうにない。
犯罪者を作るのは周囲の人間たちだと思わされた。
もちろん同じ環境に立たされても壊れない人間もいるし、被害者や被害者遺族からすれば加害者にどんな事情があっても許されることではない。
だけど私は壊れてしまった豪士や善次郎を生まれながらに問題のある人間だったとは思いたくない。
そして彼らをここまで追い詰めた側の人間にはなりたくないと思った。そう考えさせられる映画でした。
スポンサードサーチ
まとめ&個人的評価
満足度 100点満点中85点
焼身自殺した豪士。殺人を犯した善次郎。被害者遺族の五郎。被害者の友人の紡。
それぞれの思いが丁寧に描かれていて、誰に感情移入しても心が締め付けられる。
若干だけど「加害者側を悲劇的に描きすぎだろ」と思うところもあった。
それでもやっぱりこういった加害者側に立った話も必要である。映画を最後まで見たらそう思えました。
そんで佐藤浩市さんと綾野剛くんがすごすぎて涙が止まらなかった(今回はガチで泣きましたw)
すごすぎて感情移入せずにはいられない。自分がここまで追い詰められたらって本気で考えさせられる。そんくらい引き込まれました。
とりあえず重い話好きとしては大満足でした(^o^)
賛否ありそうだけどわたしはかなり好き。あと3回くらい見たい。
ページ内画像引用元→https://rakuen-movie.jp